カウンセリングと福祉

はじめに
後期高齢者制度、介護保険など、福祉といえば制度の話題、予算の話題などが色濃くうたわれています。時代に合わせるかのように福祉のありかたは目まぐるしく、時には深刻な問題となって変化していきます。

一方、支援をするかたと されるかたとのかかわりをとおしてリアルに展開されていく人間関係は、時勢にかかわらず厳然といとなまれており、福祉の本質は、このいとなみをとおして人間の幸福が目指され模索された、努力と協力の体系であることに変わりありません。

時代に合わせて刻々と変化する福祉の実態や制度に、時にほんろうされ、制度と現実、理想と現実の厳しいギャップを一身に受けながらあゆまれる、こころざしある福祉関係のみなさま、介護にたずさわるみなさまに感服を覚えます。

福祉・介護に携わるからこそ得られる、分かち合えるもの。それはきわめて得がたく尊いものであるに違いありません。そんな尊さが、福祉者として歩み続けるための、さらなる力になって実る機会を、カウンセリングといえないだろうか。カウンセリングにそういうはたらきを期待しているしだいです。

カウンセラーの福祉観
福祉には、「生命の繁栄」(広辞苑第五版)という意味が含まれており、人間のいとなみすべてが含まれます。それは人間に内在する、健康でありたい、幸せでありたいという、健全で基本的な傾向の体系です。例えば法律や倫理なども、この傾向が体系化されたものです。

ただ、ここで述べる福祉とは、おもに介護福祉の分野をいいます。厳密には介護臨床福祉です(以降「福祉」と記載)。それは、すべての人間のあいだで、社会生活、社会活動の促進が目指され、その弊害たり得る心身機能の不全や社会機能の不備が補われ、以ってすべての人間の尊厳を守るいとなみです。

こう申し上げるのは、一般に、福祉がいわゆる健常者にとっての支援、健常者でないものにとっての被支援という対照的なとらえ方に終始しがちなのをきらってのことです。それはまちがいではありません。しかし、そのような関係はきわめて副次的な一側面に過ぎず、福祉における相互関係はまったく対等であることが本質です。例えば、聴力が不全のかたが病院や役所でコミュニケーションがとれないのは、聴力が不全であるということだけが障がいなのではありません。手話通訳など、社会にコミュニケーション手段がないことも障がいなのです。逆に、極度な弱視のかたでも、メガネがあれば支障はないわけですが、もし社会にメガネがなければ、おそらく障がい者として位置づけられることになるのでしょう。つまり福祉とは、身体や知的能力などの不全と同時に、社会機能の不備も念頭に置かれ、双方にとっての不足を補おうとする取り組みをいうのです。ですから、心身機能の不全を代表した被介護者と、不備な社会を代表した介護者は、同じ課題に取り組んでいるのであり、そこには強弱や優劣などの関係は必要ありません。

さらに、すべての国民は、徴税の権利と国民の生命財産を守る民主主義制度のもとにあり、福祉関連の諸法規をはじめ、雇用契約、サービス利用契約など、あらかじめの決まりごとにしたがって、介護サービスを受けて対価を払ったり、介護サービスを提供して賃金を受けたりします。ボランティアとて賃金こそ受け取らないわけですが、何の相互関係もないということはないのです。法のもとでは強弱、優劣などの関係よりも、同じ課題に取り組む、相互に対等な関係なのです。これがカウンセリングにおける福祉観、スタンスです。

福祉者
福祉者とは、医師や介護士など、福祉における社会的な役割を担いつつ、そこにより深い人間味を発揮しようとする、人間であることの専門家です。

被介護者は、医師の前では患者になり、教師の前では生徒になるというように、それぞれの関係に応じて自分を異ならせることになります。しかし、患者になり生徒になるそのかたの本質は人間なのであり、もし介護者が介護者としての社会的役割を担いつつも、被介護者に対して、対等な人間どうしの関係でいられるなら、たとえなにかの資格を有していないとしても、真の福祉者といえましょう。

また、福祉における社会的な役割には、障がい者や被介護者の果たす役割も当然含まれます。その社会的役割は実は非常に大きく、社会はその恩恵を受けられるはずです。障がい者や被介護者も、その社会的役割を担いつつ、そこにより深い人間味を発揮しようとするところでは福祉者なのです。

カウンセラーの願い
カウンセラーは、本質的に人間である被介護者はもちろん、介護者や教師、医師、それぞれの役割を担われるかたがたが、より人間味の深められた福祉者としていられるよう願います。いうまでもなくカウンセラーもみずからが福祉者であり、カウンセラーを福祉者と和訳してもよいでしょう。

医者や教師に、なにか心情に触れる人間味を感じたり、あるいは事務的なかかわりに終始し、人間味を感じられなかったりした経験のあるかたもおられるでしょう。医者でも介護者でも教師でも、できれば事務的なかかわりに終始するより、より人間らしい 人間味を感じられる関係が望まれるのです。まして、福祉の場において事務的なかかわりに終始することは不可能といってよいでしょう。

カウンセラーは、本質的に人間であるひとりひとりが、人間味を深め、深め合っていけること、またその機会がより開かれていくことを願っているのです。そしてそのようなかたがたが、ひとつになったとき、ひとりひとりが福祉者としての尊い実りを分かち合えるのです。

カウンセリングとは
カウンセリングは、人生観や価値観に関係した、そのかた固有の問題の取り組みに対する支援といえます。人生のさまざまな局面で遭遇する、どうしたらいいのか、どうしたいのか、どうなっているのか、と問われるその”どう”の吟味です。それは単にある問題が解決したとかしないとかいうコンサルテーション的な取り組みにとどまりません。むしろ、そのかたみずからのおもむきが吟味されていき、わたしはどうしたらいいのか、どうしたいのか、どうなっているのかと、そのかたがより鮮明になっていき、そのかたがよりそのかたらしいと思える新たなあゆみへ向かう取り組みです。

カウンセリングの前提として、人間にはより鮮明に自分を知り、より自分らしくあろうとする傾向(自己実現)と、内在する葛藤や矛盾を乗り越えより統一的であろうとする傾向(自己一致)が生得的に備わっており、カウンセリングはこの傾向を頼りに展開されます。ときにカウンセリングが苦しい、つらい場になるのは、来談者がこの傾向にありながらも、それに逆行する力がかかっているからです。

それで、混在して交錯するさまざまな思い、分かってはいても受け入れきれない葛藤、封印して意識化したくない記憶などが背景にありながら、自分はどうしたらいいのか、どうしたいのか、どうなっているのかと、自分の不明瞭さが明瞭に、自分の矛盾が統一的になっていこうとするのです。それは来談者自身がより明瞭に統一的になっていくことなのです。

自己吟味
カウンセラーは来談者と一対一の面接を行います。直接会ってのこともあれば、電話やメールなど通信による場合もあるわけですが、そこでカウンセラーは、まず来談者のことばを聞かせていただきます。カウンセラーはとどけられることばを頼りに、友好的で共感的で純粋でいられるよう目指します。そうすることで、来談者は、みずからのおもむきをみずからのことばで確認し、みずからのことばに呼応し、より人間味が深められていくのです。

来談者は、同僚でも上司でも部下でもない、心理的な制約が極力除かれた自由な関係で、ことばにまかせて、語ったりあるいは黙したりできるのです。カウンセラーはこれを妨げてはなりません。聞かせていただいていることばを、○○コンプレックスだ、××障がいだなどと、一方的に解釈したり意味づけたりして、審判的な態度や評価的な態度で押しつけたりしません。来談者の問題を悩み考え解決するのは、カウンセラーではなく来談者自身なのです。

そうして、悩む力を、迷う力をはたらかせ、自分の足で、自分の願いで、あらたなあゆみへ、より人間味の深められた福祉者としてあゆんでいくのです。

ともに学び合う
カウンセラーはグループ懇談の世話をし、参加します。エンカウンターグループともいわれます。数名から十数名が一同に会して、語り合うのです。カウンセラーもメンバーの一員としてこれに加わります。語られるテーマをあらかじめ決めておく場合もありますし、そうでない場合もあります。居合わせたかたがたが、取り立てて申し合わせなくても、語り合いによって結果的に何らかのテーマになっていくのです。

いずれにしても、各自は悩みにせよ、課題にせよ、今の自分を語り合うのです(場合によっては何も語りにならないこともあります)。そこでは何かの正誤を論ずる、ことの是非を決めるというよりは、語り合われているうちに、ひとりひとりの課題が、あるいはグループの課題がより鮮明になっていき、悩む力、迷う力がはぐくまれていきます。そのようにして、より悩みより迷う経過があってこそ、結果的に、ベストな結論や決定にもいたってもいくのです。

チームワークとコミュニケーションの構築
そのような、グループの懇談は展開していくうちに、ある課題や取り組みが共有されていく、みなが一つになっていく場合があります。例えば、施設の職員がある利用者とのかかわりかたに悩んでいることが語られたところ、実は参加している他のメンバーも同様で、これが一個人を超えた課題として吟味されていく場合です。このような展開は非常に重要です。

なぜなら介護スタッフどうし、介護者と被介護者など、介護はチームワークだからです。チームには共有された思いや理念がなければなりません。とりわけ、施設職員をはじめ介護事業など大勢が編成されている場合は、チームワークの質が介護の質や人間関係を大きく左右します。事故や虐待はチームワークの質と関係するところが大きいのです。

優れたチームワークには適切なコミュニケーションが必要です。互いに自分の伝えたいことがどういうことなのかをよく理解し、それを正確に伝え、了解されなければなりません。これにはいくらかの時間やくふう、時には勇気や忍耐がいる場合もあります。というのは、コミュニケーションが得意だというかたは案外多くないのです。このようなグループの懇談はコミュニケーションの経験を積む訓練の場です。

時間をかけてとつとつと語り、時には何度も言い直し、みんなに聞いてもらったり、いろいろ言われてみたりして、やっと自分の言いたかったことが自分でわかっていくという体験は貴重です。自分の正直な気持ちをことばにしてしまったら、相手は気分を害するかもしれないと思う場合もあるでしょう。気分を害させるつもりではないこと、よりよいお互いの関係を目指してのものであることなど、勇気を出して正直に語り、聞いてもらわなければなりません。

このような体験を重ねていくことが、臨床の場面で大いに役立つのです。このようにして、コミュニケーションが深められたチームはメンバー間に豊かで実りある信頼関係が築かれ、互いの思いや能力がひとつになります。そのようなチームワークは、より大きな成果をあげ、各自は福祉者としてより成長し尊い実りを得るのです。

しないこと
時にカウンセラーは、何かまたたく間に問題を解決させ、だれかの性格を変えてしまうかのごとく誤解を招くことがあります。確かにカウンセリングをとおして、ある人に思いもかけない変化が見られ、誰もが取り組んでお手上げの問題が、カウンセリングをとおしてある種の解決にいたる場合もあります。

しかし、それはあくまでも来談者自身のあゆみの一展開なのです。催眠療法、行動療法などある程度、影響力のあるアプローチを試みる場合もありますが、基本的には来談者の願い、来談者の意志を超えてカウンセラーが介入することはありません。来談者の問題を悩み考え解決し、こたえを出すのは、カウンセラーではなく、来談者自身なのです。

おわりに
昨今、介護職志望者の減少、高い離職率、賃金や待遇改善の困難に端を発し、適正なスタッフ数とその質の確保が広く課題となっております。十分なサポートが得られずに身体的、精神的負担を受け続けたスタッフが、離職はもとより、事故や虐待にいたるという悲しい知らせを耳にするのは、ほんとうに残念なことです。

厳しい事態に直面しながらも、ひたすら介護にいそしむ貴重なスタッフに対して、まず必要なのは、先述のとおり、彼らの人間として、より成長しようとする生得的な力をよりどころに、福祉者としての尊い成長のかてを分かち合い、職場に集約される介護のいとなみに愛着を深めていけるようなサポートです。

それはつまり、職場の人間関係など 職員の直面するさまざまな悩みや苦しみが、単に厄介な業務の弊害になるのではなく、福祉者として成長する学習の機会として、その取り組みを互いに乗り越え、共有しあっていけるような職場環境が(チームであることが)必要であるということです。

そのような環境こそ、虐待や事故の防止、離職率の抑制、人間味あふれる いきいきとした職場に、介護サービスの向上に資するものと確信しております。

カウンセラーは厳しい守秘義務の課された、よい意味での第三者です。上司でも部下でもない、同僚でもない、より自由な立場から、どうぞみなさまのお声を聞かせてください。